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忘れないように書いておく

Category : それ以外

2010.08.28[土] さて

そろそろ
なんか書こうかな
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2010.01.02[土] New Year

あけましておめでとうございます。


昨年は腑抜けっぱなしだったので

今年は気合入れてやっていきたいと思ってます。

いろいろと。


そんなわけで、

今年もよろしくお願いします。






2009.12.30[水] 最近の、いや、昨日の

今年最後のゴミだしを終えたついでに
最近、というか昨日グッと来た
2本の動画をのっけときます。

ブログなど何もゴミだしのついでに、
しかも今年最後だから逃しちゃなんめい
と2時間睡眠を押しての、寒中へとびこんで、
の、ゴミだしのついでに書くものでもあるまい
とも思うのだが、もはや書き始めてしまっているのだから
こればっかりは仕方がない。ああ、書くがいいさ。

無駄に筆が滑らかなのは
ここ3日ほど腹を壊していたため
アルコールを一切絶っているという
個人的な事情と無関係ではないだろう
おそらく。

久しくアルコールを48時間以上絶つ、
という体験から遠ざかっていたのでなかなか新鮮だ。
そのなかでひとつ発見したのは、
アルコールを抜いているとその精神状態は
うつから躁のほうへ近づいていく、ということ。

そうか、やはり酒の作用で一番厄介なのは
のんだ次の日の気分的な落ち込みの激しさにある。
もちろん酒量や酔い方によって
翌日の落ち込み度合いに差はある。
しかしそれが例え少々の酒量、ほろ酔い程度だったとしても
翌日には確実にゆり戻しが来るのだ。ほろ落ち込み。
ほろ、ってなんだ。いいな、ほろ。

みんな、プチとか使わないで
もっとほろを使ったらいいのに。
ほろ家出、とか、ほろ整形とか。
なんかプチのときより5割増しで
大目に見てやるかって気持ちになる。
まあ完全に余談ですけどね。

自分の筆の滑らかさについての件は
ひとまずおいといて

動画動画。





これは完全に音楽込みでグッと来てますが
映像のほうもなかなかどうして、
無闇に感動的な瞬間が控えめに存在してるわけです。
ワンカット長回しだからすごい、ということではなく
これはワンカットで撮られなければならなかったのだ、
ということなのです。
底のほうに沈んでいるものも残さず浚うために。

ぴょんぴょんはねる女の子、
もなんだかいいです。
ほろ良いです。


ちなみに
このカチンコのたたき方はハリウッド式ですね。
日本では叩いて棒が離れるまでを写します
余談ですが。



つぎは



もうね、これは見ただけですごい。
なにせ昨日テレビで、「超ド級!世界のありえない映像博覧会」
で見たんだもの。テレビだもの。そりゃすごいよ。素人目ですごいよ。

しかし製作過程を考えるともっとすごい。
思いつくやつは思いつくかもしれないが、
やろうってやつはなかなかの物狂いだ。

そして発想オチに陥らないだけの
絵(描かれた)自体の面白さもあるし
なにより木々や、太陽光やその影、
空や雲の動きが刻印されている
2次元のアニメーションなんて
それだけでワクワクするじゃあないですか。



と、2本の動画を見て
ここまで書いてきて気づいたのは、
鮮烈に映されていた動く空や雲に
一番グッと来ていたんではないか
ということ。




おしまい




2009.11.30[月] こんなに君を拒絶してあげてるのに!

「楽園」全日程終了しました。
わざわざ来て頂いた方々に感謝です。

結局ある時点から劇場に毎日通い続けてたので
明日から行くことがなくなるのかと思うと
胸にぽっかり穴が開いたような心持ちに。

役者さんやスタッフさんも同年代が多く
本当に楽しい現場でした。


ちなみにタイトルは「楽園」のなかで
個人的に一番気に入ってる台詞。
これを書けるのは立山ひろみさんの才能でしょう。
演じた高尾祥子さんも素晴らしかったです。
泣けます。ええ、泣けますとも。


そんなこんなで
これからは明日への不安を一身に背負って
生きていく生活を再開したいと思います。

これはこれで
泣けます。
ええ…




2009.11.23[月] ニグリノーダ第一回公演「楽園」

そろそろいいかな
ということで、珍しく告知です。

楽園


映像パートのお手伝いをしました
ニグリノーダ第一回公演「楽園」が
11/25から神楽坂シアターイワトにて上演されます。

おかげさまで11月はとことん忙しく過ごすことが出来、
虚無を感じる暇もありませんでした。
いや、あるにはあったけど
疲れてると寝れちゃうからね。
いいことです。

まあそれはいいとして、
肝心の内容のほうはというと
結構はじめの段階から稽古など観させて頂いていた
という身びいきも多少含むものの、
とても面白いものになっていると思います。
自分のやったパートは置いといて。

今日も通しの稽古を観ていて
不覚にも涙を流しそうになってしまいましたし。
いいんだよなあ、あそこ。

まあとにかく、そんな感じですんで、
興味があるかたがいらっしゃいましたら是非。
詳細はコチラで↓
http://www.nigrinoda.jp/



最近ブログ書いてなかったから
どう書いていいんだかわかんなくなっちゃったよ。
こんなでいいんだっけ?


まあ、いいか。




2009.10.30[金] その店員は「あ、はい…」と言う

あなたは、自分など無くなってしまえばいいと思っている。
あるいは世界など消えてしまえばいい、と思っているかもしれない。


この情報が溢れかえる世界を整理しきれないあなたの頭のなかは、いくつかの事象を取り込むだけでいともたやすく飽和点に達し、必要か不必要かの判断を下す間もなく処理しきれぬ情報が目や耳や鼻から、体中の穴と言う穴から音も立てずに流れ落ちていく、真昼間から臆面もなく。

ただ、ここでいう「情報」とは一般的に「情報化社会」といった際に使われる「情報」ではない。テレビやラジオ、インターネットや雑誌や本。こういったツールはあくまで恣意的な取捨選択のもとに情報を単純化、図式化するための道具である。あちこちに溢れる、原初的で野蛮な情報を捨象し、抽象し、秩序を与えることによって、わけのわからないものに名前をつけて安心するための発明である。あるひとが「文化とは文のお化けである」と言った。


あなたは、彼がそんなまとまらない話をしているのを、高速バスで8時間揺られた体を引きずって入ったイノダコーヒー本店でおいしいのかおいしくないのかよくわからないコーヒーをすすりながら話半分で聞いている。動きたくない、ずっと座っていたい、外に出たくない、でもここにもいたくない、あなたはいつものようにそんなことを考えている。まわりが東京だろうが、京都になろうがあまり関係はないのだな、とあなたは思う。そして死んでしまった猫のことを、ふと思う。それもいつものことだった。


そしてあなたはいま、またしても東京の自分の部屋にいる。あれからコーヒーを飲んでいないあなたは湯を沸かし、日東紅茶のティーバッグを取り出し紅茶を作り、飲んでいる。そして飽きもせず、いまとなっては会うこともなくなった彼のことを考えて、タバコを吸う。いまこの瞬間、離れてしまった人のことを思いながら紅茶をのみ、タバコを吸っている人間は世界にどれだけいるのだろう、とあなたはしばし考えて、すぐ止める。


けれども恐らく、とあなたは思う。
その瞬間、離れてしまった人は、離れてしまった人を思う人間のことなど考えていないのだろう。
つまり、彼はあなたのことなど思ってはいないのだろう。


あなたはまた、自分など無くなってしまえばいいと思うだろう。
あるいは世界など消えてしまえばいい、と思っているかもしれない。


テレビから差し伸べられる救済の手を、あなたはうまく掴むことが出来ない。


中央線の線路近くに建つあなたの部屋には、午前1時になると貨物列車が西に向かって走る、鈍く低い、長いとも短いともいえないミニマルな騒音が届けられる。あなたは、それを快いとも不快とも感じない。それは、ここから夜です、という宣言であり時報であり、チョークで書かれた白い線のようなものだ。それは、一日で正確にひと箱のタバコを吸うあなたにとって、そろそろタバコを買いに外に出なくてはならない、というただのひとつの合図である。

あなたは財布から320円を取り出し、ポケットに入れる。外に一歩足を踏み出し、わざとらしく外の空気を吸い込んだあなたはひどく咳き込むことになる。涙が出るほど咳き込んだあとは、少しからだが軽くなっていることにあなたは気づく。

近くのセブンイレブンでいつものようにマルボロライトメンソールを320円で買い、家にかえろうと歩いている道中で、あなたはそこにうずくまるような形のハチの屍骸を見つける。あなたは立ち止まり、しばしの間それを見つめてしまう。ハチを見つめていたわけでも、「死」をそこに見出していたわけでもなく、ただハチの屍骸を見つめていた。するとそこに、猫がやってきた。全身を白い毛で覆われ、スタイルもすらりとしているにもかかわらず、その見目とは裏腹にどこか遠慮がちで愚鈍な印象を受ける、小市民的な猫だなとあなたは思う。猫はあなたをけん制しながら、慎重に様々な可能性を検討した結果、ハチの屍骸を口に含んだ。

あなたは猫がハチの屍骸を咀嚼する様子を見て思わす声に出して呟く。

「タンパク質…」

あなたは踵を返し、そのまま深夜の西友へと向かう。
西友は夜中も営業しているのでうれしいな、とあなたは思う。




しかしまだあなたは気づいていない。


恐らくあなたは西友をくまなく歩き回り、散々迷った挙句、78円で3パック入りの納豆と一丁38円の豆腐をかごに入れレジに向かうだろう。あなたは大豆タンパクに対して信仰とも思えるほどの信頼を寄せているのだから。それは、まあいい。

あなたはそのかごを持ってレジへと進む。この時間にレジが混雑しているはずもないので待つこともなくすんなりと会計を済ますことが出来る。眠そうな素振りもみせない男性店員が透明な口調で、袋は要りますか、と聞いてくると、あなたはいつものように、お願いします、と応える。116円です、という店員の透明な声が聞こえたときに、あなたは気づくだろう。あなたは財布を持っていない。

あなたは、スミマセン財布を忘れてしまったのでちょっと取ってきます、といって家へ財布を取りに戻るだろうか、いやおそらく、あ、とか、スミマセンとだけ言ってかごを持って売り場に商品を戻しにいくだろう。

いずれにしても男性店員は言うだろう。
「あ、はい…」
と。

その声には先程までの透明さとは違う不思議と淡い色が孕んでいる。
そのとき男性店員はあなたに恋をしたかもしれないし、恋をしなかったかもしれない。


いずれにしてもあなたはそれに気づく由もなく、丁寧に商品を棚に戻し、
冷蔵庫にあるはずの豆乳の賞味期限のことだけを考えながら帰途につくことになる。


「タンパク質、たんぱく質…」
と呟きながら。







2009.09.27[日] 風呂場での話

不快ではあるが、実害は少ないので看過していた。
しかしそれが無視できないレベルにまで達してしまうことがある。

風呂場での話である。

虫、という生物が地球上には存在している。
存在している、とはいえ
その存在自体に解明されていない部分が多く、
その特殊な生長のメカニズムや、独特の社会のシステムなどは
学術的な研究の対象になることもしばしばあり、
また一方でその「わからなさ」に起因する
一種神秘的な在り方とグロテスクな容貌において
小説、映画などの芸術作品に対して
インスピレーションを与えていることも事実である。

かくいう自分も一時期、「映画に現れる虫」(正確に言えば「映画に現れる巨大な虫」)
を見ることに並々ならぬ情熱をささげていた時期が少なからずあり、
その畸形的(人間から見れば)でグロテスクなさまに熱狂していた。

しかし、それは飽くまで画面上に現れてくる「怪物」としての虫、
に対する興味であり、実生活に現れてくる「害虫」としての虫、
となると180度態度を転換せざるを得ない。

それは例えば
『悪魔のいけにえ』は傑作だがレザーフェイスが家に来たらやだ、
『リング』は良く出来た映画だが貞子が本当にテレビから出てきたらすごくやだ、
ということと同じ論理である。

なんだかぼんやりつらつらと書いてしまい
論点がぼやけて来てしまったが、
そう、風呂場での話である。

これは一般的な認識なのかどうかは定かではないけれど
風呂場にいる虫といえばオオチョウバエである。
体長4mm程度のハート型の羽を持ったコバエのことだ。
蚊のように「吸血」という明確なビジョンを持って
人間に特攻してくるような明らかな害虫性を持たないこの虫は
夏になれば2,3匹は風呂場に常駐しており、
半ば風景に溶け込んでいる感すらある。

事実このオオチョウバエは、調べてみると「害虫」に分類されてはいるものの
そのカテゴリーは「不快害虫」、「不快」だからというなんともまったりとした理由で
「害虫」にカテゴライズされてしまっているのである。

と、なんだかやんわりとオオチョウバエを擁護するような論調になってしまったが
まさしく先ほどそのオオチョウバエの不快性を目の当たりにし
この文章を書くにいたったのである。
それが、風呂場での話である。

書いていてだんだん面倒くさくなってきたので
とりあえず結果から簡潔に言おう。


オオチョウバエ、風呂場で大発生。


それは例えば、厳格な両親を持ちきちんとした躾を受け、
神戸の丘の上にある伝統ある女子校を首席で卒業、
晴れて東京の一流大学に合格した彼女が初めての一人暮らしを始めた初日。
明日の大事な入学式に備えて入念に体を洗おうと
風呂場の扉を開けたキレイ好きの彼女が、
引越しの際にかいた汗や浴びたほこりを洗い流すことなく
入学式に赴くことを決意させるのに十分な数、と言っていい。

それはもはや無視できるレベルではない。


以前にも、普通に比べると数が多いな、ということはあった。
そのときはスプレー式の殺虫剤で対応し
自分の中に眠る狩猟本能を垣間見て新鮮な気持ちになったりもした。
しかし、今回は数が数なので殺虫剤を必要十分な量噴霧すれば
風呂場が大量の殺虫剤で満たされ、人間であるところの自分にまで
殺虫成分が浸透しかねない危険がはらむ。

そこで仕方なく浮上したのが
「手で潰す」
という方法である。

非常に一般的な方法ではあるが今まで避けてきた方法でもあった。

例えば蚊のような線の細い虫である場合は、
潰すという実感がそれほど感触として伴なわないためか、
してやった、という爽快感が勝る。
またそこから自分が吸われたであろう血液が
ベットリと染み出している場合でも、自分の血である
という認識があるためか、むしろ復讐心に火がつきしてやった感がましこそすれ
不快感はそれほどないように思う。

しかしオオチョウバエの場合、
小さくてもハエ、である。
体長4mmとはいえその少々丸みを帯びた体躯は
潰した際に感触として現れる「具」につい思いを馳せてしまう。

そしてその予感は的中する。

なんというか潰した感触がなんとも不快なのだ。
蚊が「プチ」ならばオオチョウバエは「ブキュ」という感触。
なにやら「頭蓋」の存在を感じさせる感触、とでも言おうか。
「殺めた」感の強い感触である。

しかし四の五の言っても仕方ないので
主に右手の中指を駆使して殺し続ける。


「ブキュ、ブキュ……」


いったい何十匹がこの排水口に流れて消えたことだろう。
数を数えてしまうとなにやら呪われてしまうような気がしたので止した。
しかし明らかに30以上は殺めている。
以前のような狩猟本能は自分の中に認められず、
ただただ陰鬱な気分で時間が流れた。

依然、壁に張り付いた虫たちをそのままに
洗髪し、体を洗い、風呂場を後にする。


そしていまPCに向かいタバコなどすいながらこの文章を書いている。


ふと、タバコを口に運ぶ右手の中指が、
虫を数十匹も殺した指であることを思い出すと、
なんとも不快な心持になってくるのだった…







2009.09.09[水] Poor Little Rich Girl

頭が痛い。

頭が痛い、頭が痛い
と思ってたら胃まで痛くなってきた。

もうバファリンも効かないし
仕方がないのでタバコ吸う。

意地になって
NY PostPunk周辺の動画を見まくっていたら
突然イーディが現れてハッとする。





ああ、ハッとした。



2009.09.03[木] おめでとう、自分に



要約すると、

今日は僕の誕生日、
でも分かち合える君はもういない
ひとりきりの誕生日、
せめてカードくらいくれたらいいのに
そしてぼくはうたうのさ
Happy Birthday To Me

わかります


そして、



これ。


というわけで予定通り32歳になりました。
とりあえずがんばります。



2009.08.21[金] ヴァンサンカンみたいだから?

ローソン100で「欲張り弁当」という
それほど小さくはないサイズの弁当が
210円という価格で売られているのを見つける。

西友とニュークイックの298円弁当をローテーションする身としては
これを試さぬわけにはいかない。

量は前述2社の弁当とさほど変わりはないように思える。
味も別におかしなことはなく、質の差は感じない。
で、食べ終わった感想


「残飯」


べつに味も量も問題なく、これで210円ならいいじゃないと思う反面
金払って残飯食ってるよおれ、という感慨をはからずも抱いてしまった。


「おい、切れ端とか、残りかすとか捨てんなよ!後で弁当になるんだからな」


という、ラインの主任の声が聞こえてくるような気がしてしまうのだ。

事実は知らないですよ、事実は。
多分たゆまない企業努力の賜物なのでしょう。
「エコ」という言葉も頭をかすめるけれど、振り払います。


そこはかとなく「残飯感」漂う210円弁当。
それを嬉々として受け入れるか否かは、
もはや単純に経済的、栄養学的な問題としてではなく
政治的、倫理的な問題として自分の前に突きつけられている
ような気がしたけれど、腹だけは満ち足りてゆくのだった。



「残飯感」
って、いい響きだな。




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